…真面目にゲームについて考えるコーナーです。つまらないかはともかく、 長くて堅っ苦しいので、暇な人だけ読んでください(>_<)。
まず、ここでいう「美少女ゲーム」というのは、単なる「アダルトゲーム」 を指すものではなく、ときメモのようなアダルト要素のない「恋愛ゲーム」なども 含んでいる、というものである。それを確認したい。
美少女ゲームには大きく分けて二つのタイプがあると思う。 一つは、マルチシナリオのもの。もう一つは、そうではないもの。 マルチシナリオの走りといえば、スーパーファミコンのRPG大作、 ロマサガ・シリーズであろう(これは勿論「美少女ゲーム」ではないが)。 そこから紆余曲折を経て、今や「『美少女ゲーム』と言えばマルチシナリオ」は、 さながら暗黙の了解である。 読者諸兄も、雑誌やウェッブサイトで「マルチシナリオ要素が少ない」という愚痴や、 不満を目にしたことはないだろうか。或いは、書いたという心当たりのある方も いるかもしれない。そのくらい、マルチシナリオというものは、今や 「美少女ゲーム」にはなくてはならない要素となっている。 今どきマルチシナリオではないのは、脱衣麻雀に代表されるような、 とにかく全員を攻略しまくるゲームくらいであろう。
そもそも、何故マルチシナリオがこれほど定着したのだろう。 それはマルチシナリオが「美少女ゲーム」の性質と、切っては切れない関係にあるからだ。 考えても見て欲しい。 「美少女ゲーム」を手にした、ユーザーが最初の目標とするもの。 それは好みのキャラと結ばれたい、そのキャラのエンディング (或いはエッチシーン)を見たい、というものではないだろうか。
以前はそうではなかった。一本筋の通ったシナリオがあって、 その過程でヒロインのキャラに見せ場があり、そこに「萌える」という形が一般的だった。 ところが、ご存知のように現代では非常にユーザーの嗜好が多角化している。 メーカー・ブランドは乱立し、老舗メーカーですら、その地位は安泰ではない。 内容を薄くしてまでして、10人以上のヒロインを乱立させた作品もあったし、 シナリオをハッピーエンド・サイドとダークエンド・サイドに分ける作品は未だに根強い。 メジャーになっているものでさえ、メインヒロイン3〜6人+αといったのが一般的である。 これだけヒロインキャラを乱立させて、マルチシナリオにしない、 というのは自殺行為である。
しかし、マルチシナリオも一種の自殺行為ではないか、という懸念も否めない。
シナリオライターにとって、マルチシナリオは屈辱である。 歴史に「たら・れば」がないように、大作とか名作とか呼ばれるものにも「たら・れば」は 存在しない。だからこそ、よりいっそう悲劇が際立つし、主役も輝きを放つ。 これがマルチシナリオだったらどうだろうか。 病気で死ぬキャラも、別のシナリオで助かるのならば、悲しみは半減する。 自分に不都合なシナリオには、目を瞑ればいいからだ。 こういうことを繰り返させるようでは、ユーザーの「人間性」すら殺しかねない。 人は「たら・れば」に強く憧れるからこそ、そしてそれが叶わないからこそ、 努力を重ね、時には悲しみ、喜びもするのだろう。 歴史としてもシナリオとしても、一大ドラマとなっている「新撰組」が好例である。 剣豪として隆盛した近藤や土方、沖田らがあれほど悲劇的な最後を遂げたからこそ、 そこに「たら・れば」がないからこそ、人々は憧れ、涙を流すのである。
しかし、これはモノラルシナリオが大前提の映画やTVドラマ、戯曲、 アニメ、漫画、小説……そういったメディアだから自然と受け入れられるのである。 ゲームは違う。ユーザーがキャラクターを操作し、 自分の手でシナリオを進めていくことに醍醐味があるのだ。 その証拠に、ゲーム性を求めるとモノラルシナリオでは寂しい、という問題が浮かびあがる。 それが最も顕著に、避けきれないのが「美少女ゲーム」ではないだろうか。 かといって、安直にマルチシナリオに答えを求めるのも、「答え」とは思えない。
Lair-softの「Angel bullet」は答えの一つを示唆していると僕は思う。 これは、完全にマルチシナリオの話である。 4人のヒロインがいて、それぞれに個別の敵、エンディングが用意されている。 ここまでは普通のゲームである。 ところが、メインヒロインの一人は、どんな選択肢を通ろうと、 全てのシナリオで死んでしまう。 当時はかなり落ち込まされたものである。 当サイトのレビューにおいても、 そのことを根に持って、評価を一段階下げたほどだ(笑)。 僕のレビュアーとしての倫理観は一先ず置いておくとして、 ここで重要なのは、それだけ「心を動かされた」ということだ。 もし、選択肢やパラメーターによって、彼女の命を助けられるものならば、 これほどまで感動することはなかったであろう。 僕がいいたいのはそこである。
また、プレーヤーが操るクラウスは、どんな選択肢を通ったとしても 「マゾで変態でセクハラ魔王だが、根は真面目で決めるときは決めてくれる奴」 というパーソナリティを逸脱しない。 このように、主人公(=プレイヤーが操るキャラ)の性格がしっかりと立っている というのも、大きな要素である。 確かに、一般的な「このルートでは悪役になろう」「このルートは正義漢でいこう」 などと自由に役柄を作っていける主人公は、口当たりが良い。 しかし、そんなコロコロパーソナリティが変わる、 のっぺらぼうに感情移入してシナリオを楽しめるだろうか? 否、である。 この点から言っても「Angel bullet」は成功であった。
これは「キャラもとりつつゲームもとった」という好例である。 しかし、現状ではやはり「萌えキャラ」を多数配して、それぞれに独自のルートを 与えるのが主流である。 これでは、ゲームは楽しくても、使い捨てのキャラが大量量産、大量廃棄され続け、 物書きの端くれとしても、いちファンとしても非常に悲しい。
もちろん「Angel bullet」だけが決して正しい「答え」というわけでもないだろう。 ただ、一つ確実に言えることは、歴史上、 マルチシナリオから名キャラクターは生まれていない、ということだけである。 確かに、マルチシナリオでなければ、「美少女ゲーム」のゲーム性は極端に落ちる。 幅広くセールスしていかなければ、メーカー生命も危ない。 しかし、それでも僕は「答え」が量産されることを願ってやまないのである。 一人のゲーマーのワガママである。